第3回:花火と思い出
週末になると、旅館の駐車場に何台もの観光バスが停まった。
ぞろぞろと降りてくる団体客を、子供の私は何気なく眺めていた。
それが週末の、当たり前の光景だった。
宴会場は賑わっていた。
会社の旅行で訪れた団体客たちが、夜になると宴会を始める。
料理が運ばれ、お酌が交わされ、笑い声とグラスの音が廊下の奥まで漏れ聞こえてきた。
子供心に、その賑わいは「大人の世界」として少し遠くから眺めるものだった。
芸者さんやコンパニオンの方々は、受付ですれ違う程度だった。
会話をした記憶はほとんどない。
それでも、着物姿の人たちが玄関を出入りする光景は、
子供にとって特別なものではなく、ただの日常だった。
玄関先には常に誰かの気配があり、旅館全体がひとつの生き物のように動いていた。
そんな日常が、週末ごとに繰り返されていた。
夏、花火とタマヤの声
夏は特に賑わっていた記憶がある。
花火大会も、今よりずっと長かった。
海の防波堤いっぱいに花火が広がり、
端から端まで光が埋め尽くしていた。
打ち上げ時間も1時間近く続いていた。
花火が上がるたびに、あちこちから「タマやー」という声が上がった。
旅館の屋上には、花火見物のための席を用意した。
浴衣姿の宿泊客たちがそこに集まり、
夜空に広がる光を見上げていた。
屋上いっぱいに人が並ぶ光景も、夏の当たり前の景色だった。
花火が終わると、屋上から拍手と歓声が起こり、
それを合図に宴会場では二次会が始まることもあった。
夏の熱海は、旅館全体が一年で最も活気づく季節だった。
年末の賑わい
年末も、街には活気があった。
詳しい記憶は薄れているが、
「年末は賑わっていた」という感覚だけは、今も残っている。
大晦日に向けて旅館の予約が埋まり、
慌ただしく忙しそうにしている大人たちの姿を覚えている。
バブル崩壊、静かな変化
いつから熱海の様子が変わり始めたのか。
はっきりとした瞬間があったわけではない。
ただ、バブル崩壊の後あたりから、
団体客の数が少しずつ減っていくのを感じた。
劇的な変化ではなかった。
静かに、少しずつ。
気づけば、あれほど賑わっていた週末の駐車場に、
バスの数が減っていた。
宴会場の灯りも、以前より早く消えるようになった気がする。
それが、長い変化の始まりだったのだと思う。
今、同じ花火を見て
先週、久しぶりに熱海の花火を見に行った。
子供の頃、花火は防波堤いっぱいに広がっていた。
海の端から端まで、光が埋め尽くすように打ち上がっていた。
今回見た花火は、その半分ほどの横幅だった。
打ち上げ時間も変わっていた。
昔は1時間近く続いていたものが、今は20分ほどで終わる。
その代わり、開催日数は増えたのかもしれない。
規模を分散させることで、続けているのだろう。
打ち上げ幅が狭まり、時間も短くなった花火を見ながら、
少し寂しい気持ちになった。
かつての熱海を知っているからこそ、余計にそう感じるのかもしれない。
それでも、花火が始まる時間になると、
海岸には人が集まってきた。
規模は縮小しても、花火を見ようとする人はまだいる。
その光景を見ながら、思った。
もっと人が集まってほしい。
かつてのように、防波堤いっぱいに人が並ぶ光景を、また見てみたい。
それは、単なる懐古ではなく、
これからの熱海への願いでもある。
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